さて前回に引き続きのことですが、家族旅行中の私は、普段の天使みたいな硫化西部ちゃんを見てくれている皆からは信じがたいくらい性格が悪いです。特に今回は旅行の方が虚無だったので文章も虚無です。
さて私の一族郎党は見た目だけ謙虚なふりして中身はがめついことで世界的に有名なのですが、この度政府による『Go to トラベルキャンペーン』的な補助金制度を使うにあたって「軽井沢旅行一回だけでは補助金を貰い足りない!!!」ということになり、急遽夏休み家族旅行・追加版を遂行することになりました。我々一同、納税者としての誇りはどこにいったのでしょうか。
ということで今回我々がお邪魔したのは神奈川県横須賀市の観音崎地区。なるべく近所がいいだろうと箱根とか秦野とか横浜とか検討していたところ、横須賀市にある某電鉄資本の某ホテルが非常に安いプランを提供していたのでそちらに決定。上述のGo to トラベル補助金を使えば、一泊二食付きで実質1万円を切るという価格崩壊(しかも広島市宇品にある某電鉄資本の某ホテルと違って大浴場が別料金じゃない!)。ちなみに今回は目的地が比較的近いこともあり、親のマイカー運転による移動だったので交通費も一人当たり往復1000円くらいと超ライト。
あまりにも価格がライトすぎて気が緩んだのか、旅行当日自宅を出発したのは驚きの15時。ちなホテルにはチェックイン15時と伝えてあったのでこの時点で完全にスケジュール崩壊。で、いざ観音崎までたどり着いてみると、そこはこのような景色でした。
あめです よろしくおねがいします
実はこのとき台風20号が接近していたりしたようなのだが、天気予報なんて見ない我々は「なんか風が強いな~海が時化てるな~」とか言って顔を見合わせていた。
でも着いたのがもう夕方で、早くしないと日が暮れてしまうので観光を敢行。海岸沿いは風がやたら強く折り畳み傘が一瞬で裏返る。三浦半島ならではの岩がちな海岸線と砕ける波しぶき。脳内にshita big redで某映画配給会社の名前が大書されるものの、何て名前の映画配給会社かは忘れてしまったので実際は脳内に何も表示されなかった、あるいは
j a v a . l a n g . N u l l P o i n t e r E x c e p t i o n
このように、連日の寒さで体調を崩しテンションが終わっていた私は、意味不明な妄言をまき散らしながら県立観音崎公園の遊歩道を歩いた。海と山があるだけみたいな場所であるが、目の前には浦賀水道という水運の要所があるために、多彩な船が視界を楽しませてくれる。
昼も夜も、雨の日も晴れの日も、船の流れは途切れることがない。バルク船もコンテナ船も、ジェットフォイルも護衛艦も、である。ちなみに浦賀水道は左側通行なので、北(東京方面)に向かう船の方が手前に見える。
そしてコイツが夜の浦賀水道を照らすイカした観音崎灯台くんだ。かわいいね。昼に見ると八角形の土台が特徴的な灯台で、そして夜には15秒間に2回光るパターンと、比較的珍しいメタルハライドランプによる青白い光が最大の目印になる(夜に東京湾フェリーに乗った時には探してみよう!)。
江戸幕末、日本が鎖国を解除するにあたって、真っ先に灯台が建てられたのがこの場所である。したがって、「観音崎は日本で最も航海に邪魔な岬」と言えることになるが、これではあまりに聞こえが悪い。「観音崎灯台は日本最初の洋式灯台です」と書いた方がみんな幸せになる。そんなもんだよ。ちなみに観音崎という地名の由来も、「船乗りに害をなすヘビみたいな得体のしれない魑魅魍魎を観音様が駆逐してくれたから」みたいな話なので、古来からこの地は少なくとも航海の邪魔であり続けた、ということは確かなようだ。さあ煽りましょう、あまた行きかう船たちを。やーいやーい。
気を取り直して。これは道中目にした「趣深い形の枯れ木」である。
もし今後アルバムとかをリリースすることになったとしたら、ぜひとも表紙にしたいものである。しないけど。
さらにこれが観音崎公園内にある、明治時代に設置された砲台の遺構である。
重厚なレンガ積み。歴史の重みとともに、ただでさえ航海に邪魔な観音崎をより一層輪をかけて邪魔な存在にしてやろうという明治政府のゆるぎない意志さえも伝わってくる。当然ながら東京湾口に位置するこの地は防衛のかなめだったわけで、観音崎にも多くの軍事的遺構が残っているのである。ちなみにこの要塞は写真に収めるのが地味に難しく、4枚撮った写真がすべてブレていた。
だが、しばらくうろうろしていると、辺りは明らかに暗くなってきた。森の中は暗くなるのが早い。結構奥深くまで歩いてきたのに大丈夫なのか? と思いつつ、どさくさに紛れて撮った写真がこちら。
非常にいい加減な写真だが、これくらいしか撮る余裕がなかったのである。この後我々は宿に向かうにあたって、「距離は短いが階段を含む悪路」か「ほぼタイル路面だが距離が1kmくらい延びるルート」の選択を迫られることになり、観音崎公園の道路密度の低さを恨みつつも短い悪路をとることにした。
……だが、そのルートは日ごろから運動というものを一切行わない我々家族にとってはあまりにも過酷。「こりゃすげえや、ブログのネタにすんべ」とは思っても、写真を撮ることまで一切気が回らない程度には。
いや、所詮公園の中の遊歩道なので、除草もしてあるし岩場も多くないし傾斜も緩く、それ自体が難しい道というわけではない。しかし今は日没後、天候は雨である。見えない&滑りやすいのコンボは、普通の山道を信じられないほど難しくするのだ。普通に歩くと道がよく見えず、かといってスマホで道を照らせば滑った時のリカバーが効かず危険という二律背反。そんな中で我々を悠然と追い越していく若い男性二人組。ざけんな。夜の山道はあぶねーんだぞ。
まあ生きて帰ってくることはできましたよ。「あー難しい難しい、ここの岩難しいよ」とか誰の役にも立たない注意喚起を叫びながら降りてきました。ムーブが完全に不審者。私の家族もきっと共感性羞恥に襲われていたことでしょう。
さて宿の話。今回お世話になったホテルは海岸沿いに立地し、全室オーシャンビューなのが特徴。広々とした客室からは浦賀水道が一望できるという、まったくもって素晴らしいロケーションだ。軽井沢のときと違って椅子は3脚しかなかったが、窓を開けて潮風を感じたり、夕やみに沈む東京湾を肴に晩酌を楽しむなんてこともできる、と思う。(台風が接近していたために)この日の潮風は相当強かったが、それも見越してなのか窓のサッシは気密性を確保した厳重なものだった。築35年の割に外装が風化している部分とかも含めて、完全に海の宿である(風化も味のうちなのだ)。
この宿の夕食は和食か洋食か選べるようなのだが、洋食の方は一応コース料理のていだというので洋食を選択。さあさあ、ワイご自慢のド下手食レポのお時間です!!!
前菜はマグロのカルパッチョ。マグロの赤、皿の白、トマトの赤、ソースの白と、見事にテーブルトップ・源平合戦さながら紅白ファッションを醸し出すルックスも華やか(意味不明)。カルパッチョという料理は鯛とかサーモンで作った方が合うと思うのだが、本場イタリアのカルパッチョは生の牛肉で作るそうです。すみませんでした。私の口には若干オーバースパイスに感じたものの、総じて美味。盛り付けもきれい。ホテル飯としてこれ以上求めるもんはないよ。
次はスープ。マッシュルーム辺りのスープだった気がする。バターかなんかの香りに加え、しっかり素材の風味が出た良いスープ。みじん切りにされたマッシュルームの食感も楽しい。スープが旨い店って大体どんな料理も旨いよね。
メインは牛肉のサーロインステーキ。ステーキというのはただ焼くだけでありながら奥が深く、それと同時に価格帯の奥も深い。しかしここのステーキは(ホテル飯としては)信じられないくらい焼き方が絶妙で、味わいは柔らかく広がり、スジとかが口の中で引っかかることもない。香り的には炭火で焼いたのかな? なかなか普通の値段の飯屋じゃ食べられない代物な気がする。付け合わせも割と秀逸で、ニンジンもただ茹でたものではなくグラッセだったり。
デザートのプリンアラモードもよくできていて、プリンはカスタード層とクリーム層の二層構造だったりして手が込んでいるのだ。ただし、なぜか柔らかいクリーム層の方が下に来ているため非常に不安定ではある。プリンには詳しくないので感想は割愛。
この後は別館にある風呂に入ったりしてから寝たんだが、風呂の話は次回に書こうと思うのでこの記事はこの辺で締めます。
いよ~~~~
ポン
さて私の一族郎党は見た目だけ謙虚なふりして中身はがめついことで世界的に有名なのですが、この度政府による『Go to トラベルキャンペーン』的な補助金制度を使うにあたって「軽井沢旅行一回だけでは補助金を貰い足りない!!!」ということになり、急遽夏休み家族旅行・追加版を遂行することになりました。我々一同、納税者としての誇りはどこにいったのでしょうか。
ということで今回我々がお邪魔したのは神奈川県横須賀市の観音崎地区。なるべく近所がいいだろうと箱根とか秦野とか横浜とか検討していたところ、横須賀市にある某電鉄資本の某ホテルが非常に安いプランを提供していたのでそちらに決定。上述のGo to トラベル補助金を使えば、一泊二食付きで実質1万円を切るという価格崩壊(しかも広島市宇品にある某電鉄資本の某ホテルと違って大浴場が別料金じゃない!)。ちなみに今回は目的地が比較的近いこともあり、親のマイカー運転による移動だったので交通費も一人当たり往復1000円くらいと超ライト。
あまりにも価格がライトすぎて気が緩んだのか、旅行当日自宅を出発したのは驚きの15時。ちなホテルにはチェックイン15時と伝えてあったのでこの時点で完全にスケジュール崩壊。で、いざ観音崎までたどり着いてみると、そこはこのような景色でした。
あめです よろしくおねがいします
実はこのとき台風20号が接近していたりしたようなのだが、天気予報なんて見ない我々は「なんか風が強いな~海が時化てるな~」とか言って顔を見合わせていた。
でも着いたのがもう夕方で、早くしないと日が暮れてしまうので観光を敢行。海岸沿いは風がやたら強く折り畳み傘が一瞬で裏返る。三浦半島ならではの岩がちな海岸線と砕ける波しぶき。脳内にshita big redで某映画配給会社の名前が大書されるものの、何て名前の映画配給会社かは忘れてしまったので実際は脳内に何も表示されなかった、あるいは
j a v a . l a n g . N u l l P o i n t e r E x c e p t i o n
このように、連日の寒さで体調を崩しテンションが終わっていた私は、意味不明な妄言をまき散らしながら県立観音崎公園の遊歩道を歩いた。海と山があるだけみたいな場所であるが、目の前には浦賀水道という水運の要所があるために、多彩な船が視界を楽しませてくれる。
昼も夜も、雨の日も晴れの日も、船の流れは途切れることがない。バルク船もコンテナ船も、ジェットフォイルも護衛艦も、である。ちなみに浦賀水道は左側通行なので、北(東京方面)に向かう船の方が手前に見える。
そしてコイツが夜の浦賀水道を照らすイカした観音崎灯台くんだ。かわいいね。昼に見ると八角形の土台が特徴的な灯台で、そして夜には15秒間に2回光るパターンと、比較的珍しいメタルハライドランプによる青白い光が最大の目印になる(夜に東京湾フェリーに乗った時には探してみよう!)。
江戸幕末、日本が鎖国を解除するにあたって、真っ先に灯台が建てられたのがこの場所である。したがって、「観音崎は日本で最も航海に邪魔な岬」と言えることになるが、これではあまりに聞こえが悪い。「観音崎灯台は日本最初の洋式灯台です」と書いた方がみんな幸せになる。そんなもんだよ。ちなみに観音崎という地名の由来も、「船乗りに害をなすヘビみたいな得体のしれない魑魅魍魎を観音様が駆逐してくれたから」みたいな話なので、古来からこの地は少なくとも航海の邪魔であり続けた、ということは確かなようだ。さあ煽りましょう、あまた行きかう船たちを。やーいやーい。
気を取り直して。これは道中目にした「趣深い形の枯れ木」である。
もし今後アルバムとかをリリースすることになったとしたら、ぜひとも表紙にしたいものである。しないけど。
さらにこれが観音崎公園内にある、明治時代に設置された砲台の遺構である。
重厚なレンガ積み。歴史の重みとともに、ただでさえ航海に邪魔な観音崎をより一層輪をかけて邪魔な存在にしてやろうという明治政府のゆるぎない意志さえも伝わってくる。当然ながら東京湾口に位置するこの地は防衛のかなめだったわけで、観音崎にも多くの軍事的遺構が残っているのである。ちなみにこの要塞は写真に収めるのが地味に難しく、4枚撮った写真がすべてブレていた。
だが、しばらくうろうろしていると、辺りは明らかに暗くなってきた。森の中は暗くなるのが早い。結構奥深くまで歩いてきたのに大丈夫なのか? と思いつつ、どさくさに紛れて撮った写真がこちら。
非常にいい加減な写真だが、これくらいしか撮る余裕がなかったのである。この後我々は宿に向かうにあたって、「距離は短いが階段を含む悪路」か「ほぼタイル路面だが距離が1kmくらい延びるルート」の選択を迫られることになり、観音崎公園の道路密度の低さを恨みつつも短い悪路をとることにした。
……だが、そのルートは日ごろから運動というものを一切行わない我々家族にとってはあまりにも過酷。「こりゃすげえや、ブログのネタにすんべ」とは思っても、写真を撮ることまで一切気が回らない程度には。
いや、所詮公園の中の遊歩道なので、除草もしてあるし岩場も多くないし傾斜も緩く、それ自体が難しい道というわけではない。しかし今は日没後、天候は雨である。見えない&滑りやすいのコンボは、普通の山道を信じられないほど難しくするのだ。普通に歩くと道がよく見えず、かといってスマホで道を照らせば滑った時のリカバーが効かず危険という二律背反。そんな中で我々を悠然と追い越していく若い男性二人組。ざけんな。夜の山道はあぶねーんだぞ。
まあ生きて帰ってくることはできましたよ。「あー難しい難しい、ここの岩難しいよ」とか誰の役にも立たない注意喚起を叫びながら降りてきました。ムーブが完全に不審者。私の家族もきっと共感性羞恥に襲われていたことでしょう。
さて宿の話。今回お世話になったホテルは海岸沿いに立地し、全室オーシャンビューなのが特徴。広々とした客室からは浦賀水道が一望できるという、まったくもって素晴らしいロケーションだ。軽井沢のときと違って椅子は3脚しかなかったが、窓を開けて潮風を感じたり、夕やみに沈む東京湾を肴に晩酌を楽しむなんてこともできる、と思う。(台風が接近していたために)この日の潮風は相当強かったが、それも見越してなのか窓のサッシは気密性を確保した厳重なものだった。築35年の割に外装が風化している部分とかも含めて、完全に海の宿である(風化も味のうちなのだ)。
この宿の夕食は和食か洋食か選べるようなのだが、洋食の方は一応コース料理のていだというので洋食を選択。さあさあ、ワイご自慢のド下手食レポのお時間です!!!
前菜はマグロのカルパッチョ。マグロの赤、皿の白、トマトの赤、ソースの白と、見事にテーブルトップ・源平合戦さながら紅白ファッションを醸し出すルックスも華やか(意味不明)。カルパッチョという料理は鯛とかサーモンで作った方が合うと思うのだが、本場イタリアのカルパッチョは生の牛肉で作るそうです。すみませんでした。私の口には若干オーバースパイスに感じたものの、総じて美味。盛り付けもきれい。ホテル飯としてこれ以上求めるもんはないよ。
次はスープ。マッシュルーム辺りのスープだった気がする。バターかなんかの香りに加え、しっかり素材の風味が出た良いスープ。みじん切りにされたマッシュルームの食感も楽しい。スープが旨い店って大体どんな料理も旨いよね。
メインは牛肉のサーロインステーキ。ステーキというのはただ焼くだけでありながら奥が深く、それと同時に価格帯の奥も深い。しかしここのステーキは(ホテル飯としては)信じられないくらい焼き方が絶妙で、味わいは柔らかく広がり、スジとかが口の中で引っかかることもない。香り的には炭火で焼いたのかな? なかなか普通の値段の飯屋じゃ食べられない代物な気がする。付け合わせも割と秀逸で、ニンジンもただ茹でたものではなくグラッセだったり。
デザートのプリンアラモードもよくできていて、プリンはカスタード層とクリーム層の二層構造だったりして手が込んでいるのだ。ただし、なぜか柔らかいクリーム層の方が下に来ているため非常に不安定ではある。プリンには詳しくないので感想は割愛。
この後は別館にある風呂に入ったりしてから寝たんだが、風呂の話は次回に書こうと思うのでこの記事はこの辺で締めます。
いよ~~~~
ポン
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